活動レポート
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TEIKYO SDGs report国境地域から見る教育

- グラデーションの感性とSDGs -

1 貧困をなくそう4 質の高い教育をみんなに8 働きがいも経済成長も10 人や国の不平等をなくそう

1 貧困をなくそう4 質の高い教育をみんなに8 働きがいも経済成長も10 人や国の不平等をなくそう

鈴木 賀映子 准教授の写真

帝京大学教育学部教育文化学科 准教授 鈴木 賀映子

大学卒業後、都内中学・高校の教諭として教鞭をとる。数年の経験を積んだ後、中米エルサルバドル共和国の教育省で現地の教育活動に携わる。帰国後、大学院に進学してラテンアメリカ地域の学校教育について研究を深める。帝京大学教育学部に入職し、現在に至る。研究分野は、国際比較教育学、ラテンアメリカ地域研究、教師教育であり、近年は、メキシコ合衆国の教育に焦点を当てている。

このレポートを要約すると...

  • 教育学は、社会に発生する多くの分野に関わる学問である
  • 鈴木先生は、比較教育学を専門にしており、中でもラテンアメリカにおける教育の研究に注力している
  • この数年の間には、国境学(ボーダースタディーズ)と比較教育学の融合をめざす研究チームに所属し、米墨(アメリカ‐メキシコ)国境を担当して、国境地域における教育状況を調査してきた
  • 国境学には、国境地域における人やモノ、文化の往来などについて、何を・どのように・どの程度通すかという視点(透過性:Permeability)がある。鈴木先生は、アメリカとメキシコの国境付近の人々の往来や労働力、子供の教育に焦点を当ててこの視点から研究している
  • メキシコの学校は、二部制、三部制を取ることが多く、子供たちの授業時間が充分に確保できないことが多い。同時に、子供の在宅時間が多いため保護者が長時間働くことが難しく、また時給も低い。そのため、毎朝アメリカ側に家族で越境し子供は学校に、親は高い時給の仕事に就くケースがある
  • カリフォルニアの教育法では、全ての子供に教育を受ける権利があるとされており、学校にはスペイン語(メキシコの第一言語)と英語のバイリンガルの教師も多い。そのため、ELs(Englis Leaners:英語学習者)の子供も語学のサポートを受けながら授業を受けることができる
  • この状況はすでにSDGsに合致した環境だと言える。隣国の異なる環境とうまく融和しながらより良い状態をチョイスできることで、子供の教育も生活もよりポジティブなものとなる

ラテンアメリカを教育学で見る

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私は現在、主に二つのテーマを軸に研究を進めています。一つはアメリカとメキシコの国境地域を対象に、国境学(ボーダースタディーズ)の枠組みを比較教育学に応用する共同研究と、もう一つはメキシコ合衆国の学校教育や教師教育に焦点を当てた研究です。もともと私は大学卒業後に中学・高校の教員をしていたのですが、海外の教育に興味を持ったことをきっかけに、教員を辞めエルサルバドル共和国の教育省に赴任して教育関連活動に従事しました。山岳地域の学校を訪問した時、子どもたちが聞いているラジオから流れてくる「国歌」が、自国ではなく隣国ホンジュラスのものだったことに驚きました。電波に国境はありません。村の子供達は、自然に隣国の文化に触れ学んでいたのです。その光景こそが、私が現在取り組んでいる一つ目のテーマである国境学(ボーダースタディーズ)と比較教育学との融合という研究の原点でもあります。

比較教育学の研究者は、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、北米、ラテンアメリカなど、それぞれに地域や国といった「フィールド」を持っています。私は、エルサルバドルに馴染みがあったということもあり、ラテンアメリカを調査対象としてきました。この地域の国々は、主要言語がスペイン語であることが多く、歴史的背景や文化的に共通点が多いという特徴があります。しかしながら、国家統治の体制は複雑に入り組んでおり、教育という観点においては多様性に富んでいます。また、近隣国アメリカとの関係性によって政治の状況や立ち位置が変わります。そのため、ラテンアメリカは、教育の視点から国境の意味を捉え直すエリアとして非常に興味深い地域だと考えています。政治学や地政学の分野では、国境をめぐる議論が活発に行われていますが、教育学とくに比較教育学では国境はほとんど意識されてきませんでした。しかし教育は、国民形成、言語、アイデンティティ、移動といった国境の機能と深く結びついた学問領域です。ですので、国境地域と教育とは、親和性の高いテーマだと考えています。

国境の「透過性(Permeability)」

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地図上の国境は、世界中に存在します。現在、携わっている共同研究では、東南アジアや北欧、北米の専門家などが集まって、それぞれのフィールドの多様な国境の姿を研究しています。私が担当しているのは、世界で2番目に長いアメリカとメキシコの国境線です。現在は、治安の問題や調査のしやすさなどから米墨国境の最西端であるカリフォルニア州サンディエゴとメキシコ側のバハ・カリフォルニア州ティフアナ間の地帯に着目しています。ここでは、毎朝早くから数多くのメキシコの子どもたちが徒歩で国境を越えアメリカの学校に通っています。中学生以上になると一人で登校できますが、小学生以下の場合は保護者も一緒に越境し、子どもを学校に預けた後アメリカで働き、夕方に迎えに来てメキシコの家へ戻ります。こうした生活が特別なものではなく、日常として存在しています。背景には、教育制度と経済状況の差があります。メキシコの学校は、一つの校舎を児童生徒が入れ替わって使用する二部制や三部制が一般的で、朝に登校しても昼過ぎには帰宅する場合があります。学校での学習時間が短く、子どもの在宅時間が長くなるほど、親は働きに出にくくなります。一方、アメリカの学校は、朝から午後まで一日中授業が組まれています。親は子どもを学校に預けた後、清掃や運転手などの仕事をアメリカですることができます。アメリカとメキシコでは、賃金水準も大きく異なるためメキシコで働くよりはるかに収入が増えます。また、アメリカ側でもメキシコからの労働者を頼りにしている面もあるため、互いに支え合う関係が存在します。

私たちはこの現象を、単なる「貧困」や「格差」としてではなく、国境の「透過性」として捉えています。国境はすべてを遮断する壁ではなく、細胞膜のように通すものと通さないもの、何をどの程度どうやって通すのかを選びながら、押し出し、引き寄せ、濃度差を生みます。その働きを説明する概念が「透過性」です。人やモノ、情報、教育機会が、国境という膜を通して押したり押されたりしながら移動しているという考え方です。興味深いことに、この米墨国境の越境通学の実態を正確な統計はほとんど公表されません。カリフォルニア州の教育法では、住所や身分に関わらず、基本的にすべての子ども(アメリカの居住証明書などを保有していることが前提)に教育を受ける権利が保障されています。学校は、越境通学の子どもを「特別な存在」として区別しないため数を外部に公表することもしません。イリーガルではないが可視化もされない、この制度的な柔軟性が国境付近における教育の多様性を生んでいるのです。

SDGsはグラデーション

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通常、現地調査に赴く前に、国際機関やその国の教育省、政府などが発行するレポートやデータから対象地域の状況を把握します。それを踏まえてフィールドワークでは、学区の教育委員会、校長先生、教員、保護者の方々などへインタビューをさせていただいています。現在進めている国境地域の調査では、メキシコ側とアメリカ側の両側でお話を聞かせてもらいますが、例えば、入国審査を通過しアメリカ側へ入国してすぐの場所にあるマクドナルドもインタビューの舞台となります。アメリカであるにも関わらず、周囲はスペイン語で溢れるこの場所には、毎朝メキシコから越境した多くの家族が集まります。彼らは、まだ暗い4時、5時に起きて長い入国審査の列に並び、ようやくアメリカに入国した後、ここで簡単な朝食をとりながら学校へ向かう準備をしています。塗り絵をしている子供や宿題をしている小学生も見受けられます。それらのテーブルにお邪魔して、生活のリズムや学校での授業の様子、保護者の子どもたちに対する想いなどを聞かせてもらいます。朝のホッと一息つく時間にもかかわらず、みなさんインタビューに応じてくれます。国境の向こう側でもこちら側でも、明るく快くお話を聞かせてくださいますが、教育環境は家庭によってさまざまです。例えば、国境が封鎖されたコロナ禍では国を越えてオンライン授業が実施されましたが、ネット環境がない家庭が多く学校からポケットWi-Fiやデバイスが貸与されたケースもありましたし、メキシコ側の学校では、ネット環境はあっても教師が教材の配信ができず、定期的に紙のプリントで宿題を出していたケースなどいろいろな対応があり、同じメキシコの児童生徒でありながら学ぶ環境は多様であることが分かりました。他にもアメリカ側にある学校では、基本的に授業は英語で進みますが、ELs(Englis Leaners:英語学習者)に対して別の教員がスペイン語で取り出し授業を行っています。バイリンガル資格を持つ教員を配置する学校も増えてきましたし、語学だけでなく経済的に恵まれない生徒に対するプログラムを設けている学校も設置されています。この地域においてはこの多文化性が「普通」の環境であり、日常的に異文化や多言語、多様な生活層の人々の中で違和感なく生活しているのです。私たち日本人からすれば、相当に多様性に富んだものです。

この視点は、SDGsのような色分けされた枠組みの捉え方にも役立つと私は考えています。17のゴールはしっかりとした色を持ち、はっきりとその境目を持っているように見えますが、拡大していけばその境目では色は混じり合い、グラデーションになっているのではないでしょうか。そもそも、経済問題は国境のない資源の問題であり、人権はグローバリゼーションの中で境目を失いつつあります。経済、教育、ジェンダー、貧困は分けようのない一続きの世界的課題です。ボーダーで区切って捉える思考と、グラデーションで捉える両方の思考がSDGsの理解には必要だと感じています。重要なのは、その境界線がどのように機能しているのかを認識することです。遮断なのか、浸透なのか、あるいはその両方なのか、その働きを理解することが、教育においても、社会の未来を考える上でも不可欠になっていくでしょう。教育はもっとも「成果」が見えにくく、しかしもっとも人の形成に影響を与える営みです。教育というレンズを通して社会を見つめ、国境というアングルから教育を見つめることで、私たちは自分たちがどのようなグラデーションの中で生きているのかを、少しだけ自覚できるようになるのかもしれません。