活動レポート
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TEIKYO SDGs report原子核物理学者が示すSDGs解決のヒント

- 世界課題に挑む叡智のネットワーク -

1 貧困をなくそう4 質の高い教育をみんなに10 人や国の不平等をなくそう17 パートナーシップで目標を達成しよう

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牧永 綾乃講師の写真 

帝京大学福岡医療技術学部診療放射線学科 講師 牧永綾乃

ドレスデン-ロッセンドルフ研究所(ドイツ)、甲南大学、北海道大学などを経て、2018年4月より帝京大学福岡医療技術学部診療放射線学科にて講師を務める。原子核物理学を専門とし、さらに医療分野への応用に特化した研究で成果を上げている。国内外の科学啓蒙にも積極的に参加している。

このレポートを要約すると...

  • 社会のさまざまな課題解決のために、常に先進的なテーマの解決に挑戦し続けている分野のひとつに原子核物理学がある。
  • 原子力工学の大元でもある国際原子力機関(IAEA)からの依頼で、世界各地で講演やセミナーを行っているのが牧永講師。国内でも積極的な啓蒙活動をしており、著名な研究者とのネットワークも豊か。
  • 研究ひとつにおいても巨大な研究機関の設備が必要であり、複数の研究者とチームを組んで取り組むことが多い。研究者ネットワークは極めて重要。
  • 叡智のネットワークともいうべきこの研究者ネットワークは、世界中のさまざまな物理系分野の研究者に広がっており、膨大な量の情報に触れることができる。
  • SDGsの本質的な解決には、人間の叡智が欠かせない。世界的な研究ネットワークを活用して成果につなげるという研究文化にこそ、SDGs解決のために必要なネットワークの原初を見ることができる。

社会を磨く放射線

レントゲンの写真

私の研究分野は原子核物理学で、中でも医学物理学を専門としています。医学物理学はわかりやすく言えば、放射線を照射して病気を診断したり、ガン細胞を減らす治療を行うための研究分野です。放射線にはα(アルファ)線、β(ベータ)線、γ(ガンマ)線、X(エックス)線、中性子線などがあり、目には見えませんが物を通り抜ける力が異なります。たとえばレントゲンで有名なX線は、鉛や厚い鉄板は透過しませんが、体の片側にレントゲンフィルムを用意して照射すれば、体内の透過映像を撮影できます。

特に近年では、建築分野での応用が多くなってきました。非侵襲的、非破壊検査と呼ばれる領域で、建物の老朽化や強度の具合を調べるため素材の原子核に放射線を照射して強度や耐久性を検査するといったものです。また、さらに注目を集めているのが宇宙開発の分野です。宇宙における熱源確保や、宇宙船の動力に原子力を活用する技術開発が進められていますし、大気や水分がなく放射線だらけの宇宙の居住スペースの遮蔽技術にも応用されています。「核」「原子力」「放射線」と聞くと怖い印象を持つ方も多いかもしれませんが、私たちには研究成果によって現代社会は確実に進化し、より安心、安全になっているという自負があります。

原子核物理分野の世界構造

原子核物理の分野は世界的にネットワーク化されています。日本の原子核研究はノーベル賞を受賞した湯川秀樹先生が出発点のひとつとなっており、そのお弟子さんであった諸先輩方が分野を牽引してきました。日本は原爆を落とされた唯一の国ということもあり、被爆研究では世界でも重要拠点です。

現在、世界の原子核工学の研究・調整の拠点は国際原子力機関(IAEA)で、日本の中心は日本原子力研究開発機構(JAEA)です。これはあまり知られていないことですが、IAEAは世界中の人たちに情報提供する活動に積極的です。IAEAの活動に参加すると、発電所が少なく放射線治療設備を備えた病院もないといった国や地域から勉強しに来る人びとにたくさん出会います。私はIAEAから依頼を受け、2010年からそうした国々に行き、放射線科学の講演を続けています。講演を始めて5年後くらいから、講演参加者が現地のキーマンとなり、画期的な施設を構築したり、新しい機器を生み出しているという連絡をいただくことが増えました。講演の対象者達は、専門家の時もあれば、高校生など一般参加者の時もあります。その国々の社会変革にコミットしている実感が得られるのは本当に素晴らしいことです。

写真

特に印象的だったのはインドです。IAEAを退職されたインド出身の方から、インドの地方大学での講演依頼をいただいたのがきっかけです。現地では貧困層が想像を絶する環境で生活しています。貧しい人たちはハングリーで、特に若者は自分の将来だけでなく、社会を変えたいという意欲がすごい。大変な刺激を受けました。こうした啓蒙活動は日本でも展開されています。主体となっているのは京都に拠点がある「NPO法人 知的人材ネットワーク あいんしゅたいん」です。参加している研究者は、京都大学名誉教授をはじめそうそうたる顔ぶれです。小学生からお年寄りにいたるまで世代を超えた科学の普及活動をメインに行っています。東日本大震災の時は福島を訪れ、放射線に対する正しい知識をもってもらうためのセミナーを実施したこともあります。IAEAも「あいんしゅたいん」も同様に、講演やセミナーの場を提供しており、そこではさまざまな分野や立場の先生と触れ合うことができます。重要な情報共有もしばしば行われるなど、社会貢献的な活動そのものが専門家同士の情報共有の場にもなっているのです。

物理学のネットワーク

九州大学での実験の写真
九州大学での実験

私たちの研究プロセスは基礎研究から始まります。生体から無機物まで、さまざまな素材に放射線を照射し反応を調べます。研究設備は一般的な大学にはほとんどなく、専門の研究機関を利用します。データを収集してから論文化し、成果が認められればIAEAに登録します。こうして蓄積されたデータは各国、各分野の専門家たちが使用できるようデータベース化され、新しい装置や機器に応用されます。医療の世界では、基礎研究から病院の検査機器として設置されるまで10年〜20年ほどの期間を必要とします。もちろん今この瞬間にも、本当にたくさんの研究が行われ特許が取られているので、10年後20年後には画期的な治療機器が生まれるのは確実です。

とはいえ、私たち研究者一人ひとりが機器開発まで行うわけではありません。大きな意味で言えば、私たちが所属しているのは「物理学」という領域。私がこの中の原子核物理を専門にしているように、物理の世界には無数に細分化された分野があり、それぞれに専門家がいます。物理学は、半導体、医療をはじめ、社会のあらゆる領域におよぶのでそのネットワークは本当に幅広い。世界をあまねくカバーする物理学ネットワークに私たちはアクセスしながら、情報を摂取し、人のネットワークを利用して研究に生かしていくわけです。そのため、誰がどのような研究ヒストリーをもっているのかが重要視されています。科学の流れと社会の進化にどのようにコミットしているのか、人の暮らしをどのように良くしているのか、どのような影響を与えているかを常に確認して動きなさい、としっかり教育されるのも物理系の特長かもしれません。

世界を覆う叡智のつながり

IAEA 核データ国際会議の写真
IAEA 核データ国際会議

物理学の領域にいる研究者たちは研究に没頭するだけでなく、社会と接点を持ち情報交換をするため外に向かって何かをしている時間が多いと言えます。研究作業も、専門の研究施設に国内外のさまざまな組織の人が参加しながら行われるため多様なコミュニケーションを必要とします。たとえば、私のもとにも頻繁に新しいプロジェクトに参加しませんか?というお知らせがきます。チームに足りない専門領域が自分と同じであれば参加する。こういうことが、全世界規模で日常的に行われているのです。物理というのは物事のしかけを理解することをテーマとしており、歴史的にも古い学問。原初のリベラルアーツのひとつと言えます。世界的なネットワークが蓄積してきた時間軸も膨大です。コミュニティに属することで、その世界の叡智にアクセスすることができる。途上国に講演に行くたびに、このパワーがさまざまな地域の複雑な課題解決に極めて有効であることを実感します。学問の叡智のネットワークそのものには、SDGs解決に貢献しうるだけの力と価値が確かにあります。

帝京大学もその叡智の出口であり入口でもあります。2019年11月には、当時、私が指導教員として携わった学生が九州大学筑紫キャンパス(福岡県春日市)で開催された国際会議「Symposium on Nuclear Data2019」で優秀賞を受賞しました。大学院生や若手研究者の受賞が多い中、学部生として唯一の受賞となりました。こうして帝京大学経由でまた叡智が一つネットワークに加わったのです。ネットワークは放射線のように目には見えません。しかし、誰と繋がればどういう研究につながっていくのかという行動そのものも、どの物質に何をしたらどうなるのかという原子核物理の研究方法と類似します。叡智のソースをどのようにネットワーク化し、人類社会の新しい可能性に生かしていくのか。持続可能な社会実現に対して原子核物理の研究は、研究成果という現実的な社会課題解決の提供に加え、叡智のネットワークという価値で応えていくことができるのです。