活動レポート
- アルツハイマーに挑む -
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帝京大学 薬学部 准教授 伊藤 弦太
2003年 東京大学 薬学部を卒業し、東京大学 大学院薬学系研究科へ進学、2006年より同研究科助手(のち助教)となる。2013年から2016年に英国Dundee大学MRC Protein Phosphorylation and Ubiquitylation Unit博士研究員を務めたのち、2017年に東京大学大学院薬学系研究科特任講師を務める。2021年より帝京大学薬学部の講師となり、2025年から帝京大学薬学部准教授を務めている。
私は現在、アルツハイマー病とパーキンソン病の原因解明を研究テーマにしています。特にパーキンソン病に関しては20年以上研究しています。アルツハイマー病は人の認知能力に、パーキンソン病は運動能力に影響が出ます。どちらも脳神経が何らかの原因によって傷つくことにより生じる疾患という点では大変似ており世界中で研究が進んでいます。アルツハイマー病に関しては、認知機能障害の進行を遅らせる薬も登場し、社会全体の心理的負担の軽減に貢献しています。自分たちの研究が多くの人たちに具体的な効果を提供しうるということは、我々研究者にとって大きなモチベーションです。
脳疾患の難しいところは、リアルタイムに患者さんの脳内で何が起きているのかを観察できない点にあります。しかし、PETスキャン(注1)による検査が可能になったことで、脳がどのようなダメージを受けた状態になっているのかをチェックできるようになりました。様々な研究により疾患の要因も明らかになりつつありますが、未だ根源的な解明には至っていません。老化は主要因の一つなのですが、若年性アルツハイマーなどもあり原因の全てとは言えません。また、老化一つとっても、細胞がどうなるのか、身体がどうなるのかといったことも研究途上です。さらに、必ずしも加齢=老化というわけでもありません。どの要素が疾患を引き起こしているのかを把握するだけでも極めて困難なのです。とはいえ、アルツハイマー病の患者さんを対象とした臨床研究は全世界で行われており状況の把握はどんどん進んでいます。人種や国家の垣根を超えて蓄積された膨大なデータを用いた研究が日夜行われており、今後さらに疾患の原因解明が進んでいくことは間違いありません。
私はある現象に注目しています。それが”タンパク質を構成するアミノ酸の異性化”(注2)です。体内に存在するタンパク質の一部分が、何らかの原因により鏡写しのような構造に変化し、通常とは異なる性質をもってしまったものです。健常者にも存在しています。しかし、アルツハイマー病などの老化と関連した疾患の患者ではその量が多く、疾患と何らかの因果関係があると考えています。しかしこれまでは、あまり研究が進んでいませんでした。それは、日常的な分析方法では異性化は検出されないため、その存在すらあまり知られていないためです。私は20年以上前に発表された研究論文の中で、動物の組織には異性化したアミノ酸を認識してタンパク質を切断する働きがあることを知り、注目するようになりました。しかし、どの酵素がその働きを担っているのかは明らかになっていませんでした。我々の研究室でさまざまな実験を繰り返した結果、異性化したアミノ酸を認識してタンパク質を切断する酵素を世界で初めて発見することができました。どの動物にでも存在し、もちろん人間にも備わった酵素です。そして、異性化したアミノ酸を含むタンパク質が疾患の原因物質の一つであり、我々が発見した酵素はそれを除去する働きをもっているかもしれない、という仮説を提唱しました。
これで原因物質と解決方法をクリアできた、と言えればいいのですが、実はまだ入り口に立ったかどうかも不明であり課題は山積みです。まず、異性化タンパク質が脳神経にどのように影響を与えているのかはわかっていません。さらに、異性化タンパク質だけを除去できたとして、症状が軽くなるのか、改善するのか、それとも何もおこらないのかも分かっていません。分かっているのは、老化により異性化タンパク質が増えるということ。アルツハイマー病などの老化と関連した疾患の患者さんでは異性化タンパク質が蓄積していること。特定の酵素によって異性化タンパク質を切断できるというだけです。今後、さらに多くの実験を行わなければならないという段階です。
私は研究をまとめ論文を発表しました。発表した論文は瞬時にオンラインで世界中に共有されます。これで、異性化アミノ酸を含むタンパク質を切断する酵素が体の中にあるということが世界中の研究者に届き、興味をもった仲間が増えれば研究や解析の速度が上がっていくことになります。もちろん、私自身の研究も続いていきます。サイエンスの世界は、国家や研究分野を超えたネットワークを構成しているので、私の発表がどこかの誰かの研究を促進するかもしれません。全く異なる分野で足踏みしていた研究を一歩前進させるかもしれません。我々の研究が今後劇的に進展することで、脳神経疾患に一筋の光明を投げかけることもありえます。自分の手がけた薬や治療法として世に出すことができれば、これほど素晴らしい体験はないでしょう
しかし、研究というのはすぐに結果が出るものもあれば、何十年もかかるものもあります。100年後の未来から見れば、私の研究が今どのくらいの位置にいるかどうかはすぐにわかるのかもしれませんが、現在の状態ではスタートにすら立っていない可能性だってあります。論文として世界に発表することで、より多くの人たちの協力や、応援を得ることができます。一人で行えることは微々たるものですが、世界の仲間がいる、そこに良質な発表をするということそのものが、私たちにとって重要なことであり使命のひとつなのです。
社会全般の大きな視点での分野の連携も重要です。薬学研究では様々な機器が欠かせません。たとえば今回の研究では、蛍光分光光度計やナノスケールの質量分析計を使用しました。これらはずっと昔からあるものもあれば、最先端の分析装置もあります。分析手法そのものを研究してきた先人たちの成果の結晶といえる分析装置が、現在の薬学研究に大きく貢献していることは言うまでもありません。もちろん、医学全般にも同じことが言えます。世界全体の科学技術の発達が、画期的な診断技術の開発に貢献しており、分野連携によって医療の課題解決も進んでいます。老化による疾患やCOVID-19のような新興感染症などを含めた、社会的な課題となっている疾患を治療できるようになれば、人の生活の改善や、不安の解消に大きく貢献できます。私たちが論文によって世界にバトンを渡すように、それぞれの科学者・技術者が無数の課題解決に挑むことで、どこかの誰かがまた新しい研究課題を解決できるようになっているわけです。
この構造にこそ、SDGs達成のヒントがあると私は考えています。SDGsの課題は、極めて広範囲であり、何をしたらどこが解決するのかを捉えるのが難しい。だからこそ、世界中の人たちが今目の前にある課題に躊躇なく全力で取り組んでいることが大事だと思っています。幸い、国連をはじめSDGsのネットワークはどんどん広がっていることでしょう。誰かが発見した方法や成果が情報として発信されることで、全く知らない誰かの課題解決に貢献できるはずです。そこかしこでの課題挑戦が解決につながっていく。SDGsをサイエンスの考え方で捉えてみれば、サイエンスにおける課題解決方法がそのまま利用できるはず。個人も法人も国家も、それぞれが目の前にある課題に挑み続けることが、世界全体の課題解決を促進していくはずです。小さくても目の前にある課題解決に挑み、発見した解決方法を世界にしっかり伝え続けることが社会課題解決のアプローチになるのだという信念を持つことが重要なのではないでしょうか。