ユーラシア大陸を東西に貫く交通路「シルクロード」の学術調査を目的に設立された
「帝京大学シルクロード学術調査団」。考古学を専門とする山内和也教授を筆頭に、
さまざまな分野の専門家が集まり学際的な調査を実施。
東西の文化が交差する拠点都市「アク・ベシム遺跡」の発掘を通して、
当時の人々の暮らしや文化を解き明かそうとしている。
中国の街の存在を証明する瓦や
カラフルな石敷き遺構を発見
2017年5月、キルギス共和国北部にあるアク・ベシム遺跡において、7世紀後半のものと見られる大量の瓦が発見された。発掘調査にあたったのは、帝京大学文化財研究所の教員らを中心として2016年に設立された「帝京大学シルクロード学術調査団」だ。
キルギス共和国北部にあるアク・べシム遺跡
調査団は、2016年から2019年までに計8回の現地調査を行い、2017年の第1次調査では幅約2m、長さ約25mにわたって埋もれていた大量の瓦片を発見した。中国の文字が書かれたこれらの瓦の存在により、この場所が当時の中国の王朝・唐がシルクロードに築いた軍事拠点「砕葉鎮(さいようちん)城」の跡であることが確かになった。
翌2018年度第1次調査では、その近くで別の瓦片の堆積を発見。それらの瓦片をさらに掘り進めたところ、瓦の下から赤や白、緑などの石を組み合わせて花の文様を描いた鮮やかな石敷き遺構があらわれ、調査団一同を大いに驚かせた。調査団の団長である山内和也教授は、発見当時の興奮を今も覚えているという。
「驚くような発見など滅多にあるものではありません。漢字が書かれた瓦が出てきただけでも貴重な発見なのですが、次々に大量に出てくる瓦の量に圧倒されたことが印象に残っています。翌年の発掘では色鮮やかな石敷きが見つかりました。このような石敷きは中央アジアではとても珍しいので、地元でも大きな話題になりました」(山内教授)
東西の文化の境界都市で
文化や人の交流を知りたい
調査対象となっているアク・ベシム遺跡は、かつて「スイヤブ」と呼ばれた土地で、唐代の詩人・李白が生まれた場所だといわれる。特徴は、西から東に進出するソグド人が建設した都市(第1シャフリスタン)と、東から西への進出を目指した唐が建設した砕葉鎮城(第2シャフリスタン)とが隣接すること。東西の文化の接点でもあり、境界線でもあった場所で、東西それぞれの人々がどのように暮らしたのか、その接触と交流を調査できる貴重な遺跡である。
アク・ベシムには、東西の民族に加えて、周辺には遊牧民も暮らしていました。また、仏教もキリスト教もゾロアスター教も存在しており、それぞれを信仰する人たちが一緒に暮らしていた痕跡も見つかっています。同じ土地に異なる民族が暮らせば争いが起こるものですが、彼らは土地利用の仕方が異なるために共存可能であった。歴史においては争いのほうが語られやすいですが、私はなぜ争わずに共存できたのかということに興味があります」(山内教授)
アク・ベシム遺跡の調査では、その都市に存在した道路の発掘も行った。道路を発掘したところで大発見とは言えないが、調査団は道路を明らかにすることに意味があると考えたからだ。
「当時の人々があらゆるゴミを道に捨てていたため、街路にはゴミが堆積しています。当時の人びともゴミ問題を抱えていました。街路の両側には建物が立ち並んでいて、街路を中心に人びとの暮らしがあったことが分かりますし、街路があることで街全体をイメージすることができます。東西の民族、遊牧民が行き交うこの街路を歩く人たちは、それぞれ異なる言語で話していたことでしょう。そんなことを思いながらこの街路を眺めると、とても感慨深いものがあります」(山内教授)
多分野による学際的研究で
1300年前の暮らしを明らかに
調査団のメンバーは、考古学、植物考古学、動物考古学のほか、文化財の保全修復や科学的分析の専門家などと幅広く、社会科学系、自然科学系を融合して1300年前の人々の暮らしを解き明かそうとしている。
これまでの発掘調査で見つかった植物の種子からは、当時の植生や食文化の実態が見えてくる。植物考古学を専門とする中山誠二客員教授は、シルクロードを通じて、西から東へ、または東から西へ伝わった穀物などに着目。西アジア起源のオオムギ、コムギ、豆類のほか、中国東北部起源のアワやキビが各地からどのように持ち込まれたのかを調べていく。
動物考古学を専門とする植月学准教授は、牛や羊などの家畜の骨から肉食の様子を捉えようとしている。例えば、牛が解体された年齢から、肉のためか牛乳のためかといった用途の違いがわかり、その土地特有の食生活が見えてくる。また、豚食の様子からイスラム教の伝わり方がわかるなど、1つの分野をきっかけに多方面へと展開していくことが学際研究の醍醐味だ。
発掘した数々の文化財の中でも、主に金属製品については、日本に持ち帰って保存修復が行われる。保存状態が良くない金属は錆びて劣化してしまうためだ。様々な分析装置を用いて、内部構造や材質を調べている。そのような文化財の保存修復や科学的分析を担う藤澤明准教授は、文化財を良い状態で保存し、後世に伝えていくことがミッションだと話す。
「ここからは中国のお金などが出て、ここが唐の街だったことを裏付ける証拠のひとつになっています。金属製品はそれほど出てきていませんが、金属加工の技術を見ると東西の技術が伝わっていることがわかります。しかも、民族によって加工技術に違いがあり、それぞれの生活や用途に合わせて彼らなりに作っていることが見えてきて面白いです」(藤澤准教授)
貴重な資料が眠る遺跡
一生をかけて発掘調査していく
2020年には、キリスト教会があった場所を掘る計画で、十字架などの当時のキリスト教徒の信仰や生活を示す痕跡が見つかれば、また違う文化が見えてくる。
「私は『文化やものが伝播するということは何か』ということを考えています。同じ形のものでも材質や作り方が違うことがありますが、そういう場合に伝わったのは何か。人が動いたのか、ものが動いたのか、デザインが動いたのか、伝わっていくプロセスとともに、それらが異民族の交流にどう役立ち受容されたのかを知りたいです」(藤澤准教授)
「今回の調査で中国の街の様子がわかってきたので、これからの調査ではそこで暮らした人々の生活をもっと明らかにしていきます。この場所を知ることは、人や文化が行き交う交易路であるシルクロード全体を知ることにつながる。アク・ベシム遺跡は、自分の一生をかけて掘る価値がある場所だと思っています」(山内教授)
アク・ベシム遺跡の発掘調査はまだ始まったばかり。これから数年かけてさらに範囲を広げていくが、500年という長きにわたって栄えたこの土地は、深く掘るほどに古い時代の暮らしぶりが見えてくる。山内教授らは、横(空間)方向、縦(時間)方向へと調査対象を広げることで、異なる土地からやってきた人々や文化がどのようにその土地に根を下ろし、異文化と異民族の共存を実現したのかを明らかにしていく。