〜帝京大学シルクロード学術調査団 第1次調査速報 vol.12〜

今回の調査では、建物区画とその中に開けられていたゴミ穴を確認しました。

町の大通りに沿った区画の中は、なぜかたくさんごみ穴が残されていました。

開元通宝が出土したのも、このごみ穴のひとつでした。

おそらくですが、このコインは落としてしまって、拾えなかったものだと推定されます。

 

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このコイン以外にも、ごみ穴からは土器のかけらやウシ、ウマ、ヤギ、ヒツジなどの動物の骨が大量に出土しました。

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ゴミ穴に切られたカマド。焼土の状況から、長期にわたり使用していたことがわかります。

おそらくはパンを焼いていたのではないでしょうか。

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カマド内の焼土と、砂粒を混ぜたレンガ(耐火性のレンガか)。

 

 

大通りにも同じように大量のごみが捨てられています。

黒いガラス質の塊は、金属をつくる際に廃出された鉱滓です。

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“日常のゴミを、道へ廃棄していた”というのは、現代の日本では想像し難い感覚です。

しかし、そもそも道の構造自体が異なっており、大通りには窪みがあり、そこは排水路であったと同時にごみを捨てる場所でもありました。

ではどこを歩いたのか? その両脇、いわば側道を歩いていたと推定されています。

道の断面には、骨や土器以外に、シュラック(鉱滓)が大量に廃棄されています。ゴツゴツと尖ったガラス質のシュラックを敷き詰めるように捨てられていました。

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ごみの処理は今と同じように町に住む人たち、そして町にとって大きな問題であったことがわかります。

現在のようなごみを収集するシステムのない時代、日常の生活から排出されたごみは、ごみ穴を掘り、または大通りに捨ててていたようです。

調査で掘り出しているのはこうしたごみかもしれませんが、当時の人々の食事や生活の様相を知るための貴重な手がかりとなります。

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本調査は、日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究B(海外学術調査)(課題番号15H05166)研究代表者 山内和也「中央アジア、シルクロード拠点都市と地域社会の発展過程に関する考古学的研究」と連携して実施している。

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